言葉と時代

私は昭和40年代半ばに生まれた人間で、ジーンズはジーパンと呼び

カップルはアベックと言う。洋菓子は最近はスイーツというそうだが、

私はスイーツという言葉にまったく親しみがない。人は年を重ねると

新しい言葉を体得するのが苦手になるというが、骨身に沁みる。

私の父から上の時代は、ハンガーをえもんかけ、キャンバス素材の靴を

ズックと言い、パンツをサルマタと呼んだ。

当時、私は笑ったが、今度は私が若い世代に笑われる番となった。

 

「祖国とは国語だ。」これは山本夏彦氏が何度も自身の著作に引用している

シラオンの言葉である。それに倣って「言葉とは時代だ」とでも書こうか。

まだ若い頃、職場の親方に自分が生まれる以前の昭和39年に開催された

東京オリンピックの話をされてうんざりしたが、この前、若い子に1984年の

ロサンゼルスオリンピックの話をしようした瞬間、昔を想い出し苦笑した。

20年とか30年というのはあっという間なのである。

 

 

 

 

 

日記はじめる

記録という行為はたいへん有為なことで、写真をはじめのちに想起して過去を懐か

しみ楽しんだりできる。よって私は含めた凡人凡夫は楽しかった事柄を記憶する。

 

不愉快な事柄を記録して、のちに当時の不快な事柄を想い出して陰鬱になったり

怒ったりする人は、まずいないであろう。

いるとすれば精神的なマゾヒストであったり修行者だろうか。

 

私は普通の人間なので、この先の日記には楽しい事や役に立つことを書くとする。